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ほう統士元<ほうとう・しげん>




姓はほう、名は統、字は士元。諸葛亮(しょかつりょう)に匹敵する智謀を持った天才軍師。
ほう統は若い頃から地味で目立たず、ましてや人からは評価されていませんでした。ですが司馬徽(しばき 別名 水鏡先生)ほう統の才能を見抜き 諸葛亮伏龍(ふくりゅう)と称したのにたいし、ほう統鳳雛(ほうすう)と称しました。 その後ほう統赤壁(せきへき)の戦いでは蜀呉連合軍に協力し有名な連環(れんかん)の計を成功させました。 詳しくは赤壁の戦いに書いてあります。赤壁の戦い三国志の戦争の中でも最も面白い戦だと思うのでぜひ見てください。

その後ほう統は誰に仕えるわけでもなく呉(ご)に 住んでいました。そのうちの大黒柱周瑜(しゅうゆ)諸葛亮に筆殺(笑)されます。そして魯粛(ろしゅく)が 跡を継ぐことになります。そんなとき周瑜を筆殺した張本人の諸葛亮周瑜のお見舞いなどと称してにやってきました。 その帰り際にほう統諸葛亮に会い少し話しをします。諸葛亮ほう統に 「もしわが君(劉備(りゅうび))に仕えようと思ったらこの書をたずさえてわが領土に来られよ」と言って手紙を渡して 帰っていきました。いっぽう魯粛はこの機会にほう統を登用して自分の代わりに の全軍の指揮官になってもらおうと考え、ほう統孫権(そんけん)に ひきあわせます。ですがほう統孫権の「芸は何か?」という質問に「飯を食ってやがて死ぬでしょう」 と答えるなど孫権をからかいました。孫権ほう統が気に入らず登用しませんでした。次にほう統はぶらりと荊州(けいしゅう 地方名 劉備の領地)に行き 劉備と会います。しかし諸葛亮からの手紙は出さずに話しをしました。 劉備ほう統があまりにも汚い格好をしていたので、ほう統の噂はウソなのかと思ってしまいほう統を 片田舎の県令にしてしまいました。ほう統は任命先の地でろくに職務もせず毎日酒を飲んでいました。怒った劉備張飛(ちょうひ)らをやって怠慢が本当か確かめさせました。ほう統はやってきた張飛 が職務怠慢のことを聞くと「あんなものはやる気になれば一日でできる」などと言いました。張飛は 「なら一日だけ待ってやろう」と言って待つことにしました。するとほう統は宣言どおり百日あっても終わらないような仕事を一日で終わらせてしまいました。 張飛が無礼をわびるとほう統は「どうですかな」と勝ち誇り(笑)諸葛亮から もらった手紙を張飛に渡して「これをわが君に届けてください」と言いました。 張飛から手紙を受け取った劉備は驚き急いでほう統を呼び戻しました。 そのころ諸葛亮も帰ってきました。そして三人は会って話しをしほう統諸葛亮 の右腕ともいえる重要な役職につきました。

その後ほう統劉備蜀(しょく)ゲット作戦(成都制圧戦)に 軍師としてついていくことになります。ほう統の活躍で劉備軍はじわじわと成都に近づきます。そんなとき諸葛亮から 手紙が来ました。手紙には天文を見ると成都の運気がいいのでここは一度荊州に帰って態勢を整えなおしたほうがいい、と書いてありました。 劉備はこの手紙を読んで帰ろうとします。このときほう統に嫉妬(jealousyのほう 笑)の感情が起こりました。 「諸葛亮は私が成功するのを恐れている」こう思ったほう統劉備に進軍を すすめます。劉備は進軍することにしました。次の日劉備ほう統は 違う道から進軍しようとします。するとほう統の馬が暴れだしました。そこで劉備ほう統に自分の馬を 与えました。そして両軍は進軍を開始しました。そしてその進軍の途中ほう統は自分たちの通っている道があまりにも険しかったので どんな地名なのか家来に聞きました。すると家来は「落鳳坡です」と答えました。ほう統の道号は鳳雛です。 それが落ちるとは。なんという不吉な地名でしょう。驚いたほう統は進軍を止めます。すると辺りの森に隠れていた蜀軍は止まったほう統を 弓矢で狙い撃ちにしました。ほう統は全身に矢を受け亡くなりました。諸葛亮にも匹敵する才能を持ちながら三十六歳での 早すぎる死でした。皆さんも嫉妬はやめましょう。


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