性は孫、名は策、字は伯符。人々は孫策を漢の初代皇帝劉邦(りゅうほう)と覇権を争った武将項羽(こうう)にならい小覇王とよびました。
父孫堅(そんけん)が(荊州けいしゅう 地方名)の劉表(りゅうひょう)を攻めて戦死してからは、
袁術(えんじゅつ)のところに身を寄せていました。父は江南(こうなん 地方名)の虎として全国に名をとどろかせていたのに、自分は人に食客の身。
孫策はそれを恥じ、孫家を再開しようと考えます。孫策は父が洛陽(らくよう 漢の都)で見つけた玉璽(ぎょくじ 皇帝の証)
を持っていました。袁術はそれをほしがっていました。そこで孫策は玉璽を袁術にあずけ、代わりに兵をかりました。
また野に隠れていた賢者を何度も訪ね、必死に自分を助けてくれるように説得し味方につけました。そして孫策はあっという間に江南、
江東(こうとう 地方名)の地を征服し、善政を敷き賢者を集めその地位を確固たるものにしました。呉郡の太守許貢(きょこう)は
そんな孫策の力を恐れた曹操(そうそう)と内通(ないつう 敵国と密かに通じること)します。それを知った孫策は
当然彼を殺します。しかしその許貢に世話になっていた者たちがいて、彼らは恩人許貢の仇をとるため、孫策を暗殺します。
江南、江東に瞬くまに勢力を広げ小覇王とまで呼ばれた孫策でしたが、あまりにも早い死でした。孫策このとき二十七歳でした。