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張飛翼徳<ちょうひ・よくとく>




性は張、名は飛、字は正史では益徳ですが三国志演義では翼徳。酒癖が悪かったのですが、そんなところも含めて民に愛されました。
劉備(りゅうび)と同郷の出身でした。劉備関羽(かんう)桃園の誓いで義兄弟になり、黄巾賊(こうきんぞく)を倒すため兵をあげました。その後は劉備軍の将軍として関羽とともに 劉備を支えました。新野(しんや 地名)にいた劉備曹操(そうそう)に追われていて、追いつかれたときのことです。張飛はただ一騎、長坂橋に立ちはだかり百万の 曹操軍に向かって「われこそは張飛なり。命のいらぬものはかかって来い」と叫び、恐れをなした曹操軍は一時、退却しました。 三国無双でもかならずでてくる、長坂橋仁王立ちです。その後劉備軍は何とか逃げ切ります。

劉備漢中(かんちゅう 地方名)をとって漢中王になったとき、 張飛関羽ら他の四人の将と一緒に、五虎将軍(ごこしょうぐん)になりました。 しかしその後、荊州(けいしゅう 地方名)を守っていた義兄の関羽が、 の共同作戦によって捕らえられ首をはねられました。劉備は臣下にとめられなかなか 関羽の仇を討とうとしませんでしたが、張飛のたのみもありやっとに 攻め入ることになりました。しかしその矢先、張飛は部下に暗殺されます。張飛はこれまでも部下の些細な反抗や、ミスにたいして暴力を振るったり 死罪にしたりしていました。このときも暴力を振るわれた部下が次は死罪だといわれたために、張飛を暗殺して、仇である に亡命したのでした。仇を討つ手前で無念の最後でした。


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