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趙雲子龍<ちょううん・しりゅう>




性は趙、名は雲、字は子龍。文武両道の名将で五虎将軍(ごこしょうぐん 武勇が高く功績のある将軍に送られる称号)の一人でした。
元は袁紹(えんしょう)の家来でしたが、その政治の仕方を見ているといやになったので放浪しました。次に袁紹と戦をしている最中に危機に陥った 公孫さん(こうそんさん)を助けたのがきっかけで、彼の客将(きゃくしょう 一応配下ですが自由な身分)になりました。その後の袁紹との戦いの最中 公孫さんの援軍に駆けつけた劉備(りゅうび)と初めて出会いました。劉備の噂を聞いていた 趙雲劉備を見て噂どおりの人だと感じ、家来にしてくれるよう頼みます。しかし劉備が 「ありがとうござる。ですが今はその時期ではありませぬ。将来また再会したときは今日の誼(よしみ)をまた温めましょう(要するに仕えてもいいということ)。それまでは 公孫さん殿を助けてあげてください」といったので、「わかりました。しかし時がきたらかならず家来に加えてください」と言って別れました。 その後公孫さん袁紹に滅ぼされ、袁紹に家来にならないかと誘われますが断って放浪の旅にでます。 そんな趙雲劉備と再会するのは、劉備袁紹の客将から独立しようと 汝南(じょなん 地名)に向かっているときでした。趙雲汝南の辺りの山で賊に出くわしやっつけていました。その賊たちはこれから心を入れ替えて 劉備の家来になる約束をしていましたが、趙雲はそんなことは知りません。所詮は賊で趙雲の相手ではなく、 趙雲は逃げ回る賊を追いかけていました。すると騒ぎを聞いて劉備たちがやってきました。趙雲は「おお劉備殿。 私はあなたのような人にずっと仕えたいと思っていました。今度こそぜひお供に加えてくだされ」と言いました。劉備も 今度は「おお。それは願ってもないことです。喜んでお迎えしますぞ」と言ってくれたので、趙雲はやっと劉備に仕えることができました。

その後劉備一行は曹操(そうそう)に攻められ、逃げて荊州(けいしゅう 地方名) にたどりつき、統治者劉表(りゅうひょう)のはからいで新野(しんや ちめい)を治めていました。ここで劉備は 天才軍師諸葛亮(しょかつりょう)を得ます。ですが新野にも曹操 は攻めてきます。その逃亡戦で趙雲は常人とは思えない単騎駆を見せます。その後も趙雲は 赤壁(せきへき)の戦いでは逃げる曹操軍に打撃を与え、荊州南部攻略戦 では敵の城を奪い、南蛮制圧では敵将を捕らえ、北伐(を討つこと)では何度も魏軍 を破りました。(趙雲の活躍はそれぞれの戦争に書いてあります。まだできていないのもありますが、それは時間を置いてまた来てください。) そんな趙雲も病には勝てず、第二次北伐が始まる前に亡くなってしまいます。趙雲の死を聞いた諸葛亮は「趙雲はわが の柱石であった。片腕を失ったわ」と嘆き、趙雲の死を惜しみました。


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