戦争


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長安〜渭水の戦い


曹操(そうそう)劉備(りゅうび)ほう統を副軍師として迎えたことを知りました。そこで曹操は 早く南方を制圧しようと考えます。まずは周瑜(しゅうゆ)のいなくなったから攻めようと 考えます。そのためにはまず、自分に対して敵意を抱いている西涼(せいりょう)馬騰(ばとう)を倒しておく必要がありました。 そこで曹操は勅命(ちょくめい 朝廷の命令)という名目で馬騰を都に呼び殺害しました。西涼にはまだ馬騰の 長男馬超(ばちょう)が残っていました。曹操西涼にいる韓遂(かんすい)馬超を捕らえて差し出すように使者を送り、南方制圧に向かいます。しかし、韓遂馬超と手を組んで攻め込んできました。まず馬超軍長安(ちょうあん 地名)を攻めます。 曹操はすでに南方に向かっていたため、守りは手薄でした。ですが長安の城はの初代皇帝の劉邦 が都を守るために築いた城で、簡単にはおちそうにありませんでした。しかし長安の城には弱点がありました。土質が粗くしかも水は塩辛いので遠くまで水を汲みに 行かなければならないこと。そして山野に木が少ないため常に燃料不足になることでした。そこで馬超の片腕ともいえる ほう徳の作戦で長安から遠く離れたところに陣を張ることにしました。しばらくすると長安の城内では水などの蓄えが なくなってきます。敵は遠くに陣を張っているのでもし攻めてきても、敵の姿を確認してから城に逃げ込んで十分に間に合うと考えた長安の大将しょうようは 城外に出て水や薪を取ってくることを許可します。領民たちが城の外で水などを汲んでいるとすぐに馬超軍が攻めてきました。領民たちは急いで城に戻ります。 逃げるのは間に合いましたが、馬超軍は城を取り囲んで動こうとしませんでした。すると城内から火の手が上がりました。領民たちは口々に「西涼軍が城内に入って 放火しているぞー」と叫んでいました。しょうようらは混乱をおさめようとします。しかし城内には領民にまぎれてたくさんの西涼軍が入り込んでいました。 そして西涼軍は城内から城門を開け、そこから外に待機していた軍も突入し、長安は落城しました。

長安をおとした西涼軍は次は潼関(どうかん 地名)の城に向かいました。曹操長安の落城を知ると徐晃(じょこう)曹洪(そうこう)に一万の兵を率いさせ、 急いで潼関に向かわせました。「敵は大軍なので城を出て戦ってはならぬ。十日間潼関を守り通せ。余(自分のこと)はその間に大軍を引き連れて潼関に向かう」 と言っておきました。潼関に援軍が着いたことを知った馬超はまたまたほう徳 の作戦で、援軍の将の二人を挑発することにしました。徐晃は軽く聞き流していましたが、 曹洪は挑発に乗ってしまいます。そして我慢の限界を超えた曹洪は城から出撃し馬超軍 を蹴散らします。しかし当然ながらそのとき曹洪軍は包囲されていました。徐晃が城に連れ戻そうとやってきましたが、 時すでに遅し。数に劣る徐晃たちは包囲され叩きのめされ、潼関もおとされました。 徐晃曹洪は何とか包囲を突破し逃げていました。そして 曹操の本軍に合流しました。曹操は敵がどうやって潼関を おとしたのか聞きます。そして曹洪が城から打って出たことを聞くと首を刎ねようとします。 しかし家来になだめられ、「よし今までの手柄にめんじ、今ここで首を刎ねるのはやめよう。しかしその罪が消えたわけではない。なにか手柄を立てればその罪を許してやる」 と言いました。翌日曹操軍馬超軍は対決します。しかし曹操馬超軍を甘く見すぎていました。 馬超軍の前に曹操軍は打ち破られ、曹操は逃げます。しかし逃げている途中馬超 に遭遇し追い詰められます。ですが曹洪が現れ曹操は何とか助かります。 曹操は自分の命を救った手柄を認め曹洪の死罪を取り消しました。 そして西涼軍を甘く見ていたことを反省し、渭水(いすい 川の名前)をはさんで陣を張りました。しかしいつまでもにらみ合っているわけにはいかないので、 曹操は軍を分けて渭水を渡り西涼軍を挟み撃ちにしようとします。しかし渡河の最中、いつのまにか渭水を渡った 西涼軍が攻めてきました。このとき曹操軍はほとんど対岸にいて一番最後に渡河をしようとしていた曹操の近くには ほとんど兵がいませんでした。曹操許ちょの働きで何とか助りました。 この戦で渭水は大河ですがどこかに支流があって、西涼軍はそこから船を使わずに河を渡れるということがわかりました。しかし 曹操にはそれがどこかわかりません。そこで曹操はとりあえず夜襲に備えて 陣に土で壁をつくるなどの改造をしました。馬超はそれが完成するまえに夜襲をかけます。しかしこの夜襲は読まれていて 失敗します。ですが馬超はあきらめず毎日のように夜襲をかけました。そこで曹操馬超軍の夜襲を防ぐため城をつくりはじめます。しかし完成間近で馬超軍に火をつけられ燃えてしまいました。そこで次は土を掘ってそれを壁にし地下城を つくろうとします。しかし今度は馬超軍が上流に堰(せき)を築いていて、完成間近で堰を壊され洪水がおき、地下城は跡形もなく壊れました。

そんなうちに季節は冬になり雪も降り始めました。曹操はどうやって城をつくろうかずっと考えていました。 そんなとき一人の老人が曹操の陣を訪ねてきました。老人は「丞相(曹操のこと)は 城を築こうとしているようですが、なぜ火水に潰えぬ城をおつくりにならないのです?今雪が降り始めました。これから寒さはますます厳しくなるでしょう。 兵士らに水を打たせておけば夜のあける頃には自然に城はできているでしょう」と言いました。曹操は「よくぞ教えてくれた! 余は天の時を見逃すところじゃった」と言って褒美をとらせようとしますが、老人は「いやいや。今はもう隠居の身。欲などございませぬ」と言って去っていきました。 曹操は早速全将兵に命じて砦をつくらせました。そしてそこに水をかけさせました。次の日馬超軍の見張りの兵は 曹操軍の陣を見て驚きました。一夜にして曹操軍の陣地に城ができていたのです。しかもその城は氷でできていました。 馬超も驚き、様子を見るため城に向かいます。曹操もそれを出迎えます。 そして馬超に「どうじゃ馬超。おぬしは私に城はつくれないと思っていただろうが、 天のおぼしめしをもって一夜にしてできたぞ。どうだ早々に降参せい。そうすれば大名にとりたててつかわす」と言いました。馬超は 「断る!そんなことで父や弟の恨みが晴らせるか!」と言って曹操に襲い掛かります。すると許ちょ が現れたため馬超は「今日のところは城を見学に来ただけだ」と言って帰ります。その夜馬超の ところに許ちょから一騎打ちの挑戦状が届きました。次の日両軍はそれぞれ出陣し、二人の一騎打ちが始まりました。 しかし二人とも一歩も譲らず決着がつきません。曹操許ちょに引き上げの合図を送ります。 許ちょは命令には逆らえないので「馬超勝負なしだ」と言って引き上げました。 馬超軍はこの機を逃さず攻めかかります。曹操軍も応じますが旗色が悪くなったため城に引き上げます。馬超はとりあえずあきらめ 陣に帰りました。曹操馬超許ちょと互角の豪の者 であったことに驚きます。さらに氷の城に閉じこもれるのは春までの期間だけです。そこで曹操は大軍に渭水を わたらせ馬超軍の背後にまわしました。馬超は敵に自軍の背後にまわられたので、どうしようか韓遂に相談します。 韓遂はとりあえず和睦(わぼく 戦争をやめること)して、春になったらまた新しい暗を考えるという策を提案しました。馬超も それに賛成し曹操に和睦の使者を送りました。曹操はこれは偽りの和睦であると考えます が、とりあえず受けておいてその間に馬超韓遂の仲を裂く工作を実行することにしました。

曹操は退却すると見せかけながら、和睦が決まったことを口実に韓遂と二人で話しをしました。 それを聞いた馬超はすこし疑問に思います。さらに曹操は重要な部分を消した 手紙を韓遂に送りました。それをみた馬超は重要なところを韓遂が消したと思い疑いはじめます。 疑われた韓遂は「わしを疑っているのか。よろしい。みの潔白を証明しよう。明日私が曹操と話すときおぬしは家来に変装して私についてきて、隙を見て曹操 を斬りたまえ」と言いました。次の日韓遂馬超曹操軍の陣に向かいます。そして韓遂の家来が 「韓遂様から曹操様へお話があります」と叫びます。曹操はこの行動を読んでいました。 陣からは曹操ではなく曹洪が出てきました。そして馬超が 変装して潜んでいるのを知っている曹洪は思わせぶりな態度で「韓遂殿曹操様と 約束されたこと、しかとお守りくだされよ。では」と言ってまた城に入っていきました。馬超は、見事なほど完璧に策に引っかかって(笑) やはり韓遂が裏切って曹操と手を組んでいたと思い韓遂を斬ろうとします。そこは家来に静止されましたが二人の仲は 誰が見ても明らかでした。もう馬超とはうまくいかないと考えた韓遂曹操に降伏の 使者を送ります。曹操は降伏を受け入れます。そして馬超を捕らえるため 馬超を酒宴に招き隙を見て火を放ち、その合図で自分の軍が攻め込むということを韓遂に伝えるよう使者に言いました。 使者からそのことを聞いた韓遂馬超が酒宴に来る来ないは別としてとりあえず準備をしました。韓遂の陣を探らせていた 馬超韓遂の陣の異変をすぐに密偵から聞きます。そこで馬超ほう徳に「まずはわし一人で韓遂の陣の様子を見に行く。おぬしは後から兵をつれて来い」と言って単身、韓遂の陣へ向かいました。 準備ができた韓遂は誰か馬超を呼びに行くよう家来に言います。そこに馬超が 「その必要は無い」とかっこよく現れました。そして韓遂に襲い掛かり左腕を切り落とします。トドメをさそうとしましたが回りの家来に阻まれました。さらに そのうちの一人が陣に火を放とうとして外に出たため馬超はそれを追って斬り捨てました。しかしその隙に韓遂に 逃げられます。さらに火の合図で曹操軍が攻め込んできました。馬超はピンチに陥りますがほう徳 らが現れ逃げます。曹操軍は執拗に馬超を追いかけますがなかなか追いつけません。さらに都から 劉備孫権(そんけん)が不穏な動きをしているので急いで帰ってきてほしい という知らせがきます。しかたなく曹操馬超追撃をやめ都に引き上げました。 取り返した長安の城には前にもましてたくさんの兵と良将を残していきました。


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