戦争


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漢中(かんちゅう)攻略戦 序章


都で反乱が起こったため曹操(そうそう)は都を離れることができませんでした。そこで 曹洪(そうこう)張こうらに五万の兵を授け漢中(かんちゅう)の警備にあたらせていました。 ですが曹洪は守るだけでなく積極的に蜀(しょく)の境に近づき、ついには馬超(ばちょう) の部下の率いる先鋒隊と衝突しました。魏軍はあっという間にこの先鋒隊を撃破し馬超の守る城に近づきました。 ですが馬超は動く気配を見せませんでした。曹洪は相手が勇猛な馬超なので 大事をとっていったん引き上げました。まだまだ未熟な(?)張こうは勝ち戦なのに引き上げることに納得できず、 なぜ引き上げたのか曹洪に聞きました。曹洪は「私は渭水の戦い馬超の 力を嫌というほど見せ付けられた一人だ。その馬超が我々を前にして動き出そうとしないのはおかしいと思わんか? それに我々はを攻めろとは命令されていない。漢中を守るために来たのだ。」と答えました。すると 張こうは「たしかに馬超は豪傑です。しかし将軍(曹洪)はそれ以上に 馬超の名を恐れています。たしかに馬超張飛(ちょうひ) の名はとどろいています。しかし何ほどのことがありましょう。この私に三万の兵をお貸しください。巴蜀(はしょく 地方名)のほうにのこのこと現れた 張飛の軍をたたいてみせます」と言いました。曹洪が「そんな簡単にたたける相手なら誰も苦労はせん」と言うと なんと張こうは「拙者の目から見れば張飛など子供のようなものです。 それよりも将軍がそうやって張飛馬超を恐れることが兵の士気にまで 影響することをお忘れか!」などと大口をたたきました。曹洪は怒って「なにぃ。よしそこまで大言を吐くなら兵を与えてもいい。だがもしおまえが敗れたらどうする」 といいました。張こうは「そのときはどう罰せられても恨みには思いません」といいました(当然ですが・・)。 曹洪は「よし今の言葉決して忘れるな!」と念を押して兵を与えました。張こう早速出陣します。 張こうはまず三つの砦を築きました。それぞれの砦に五千の兵を残し、残りの一万五千の兵を率いて 張飛を攻めるべく進軍を開始しました。張飛張こうが来たことを知ると雷同(らいどう)に五千の兵を与え、自らも五千の兵を率いて共に出陣しました。 両軍は山間で激突しました。戦いは互角でしたがそのうち張飛軍の伏兵が辺りに現れました。張こうは驚いて 退却し始めます。ですがその伏兵は数を多く見せるために旗を多く振っているだけで少数でした。ですが一度混乱した軍を立て直すのは不可能なので 張こうは砦まで退却しました。その後張飛らは砦から出てこない 張こう雷同に挑発させました。すると張こうは砦の上で酒盛りをはじめました。 そして「おもしろいものよのう。騒いだとてこの砦が落ちるわけもなし。あれでは口もくたびれるだろうに。まあ酒でも飲みながらあの馬鹿顔を見物するか」 と言って逆に挑発しました。雷同は怒って攻めかかります。ですが張こうも挑発するぐらいですから準備は完璧で 岩や大木などを転がされ砦には近づけず退却します。そこで張飛も同じく酒盛りをすることにしました。 こうして両軍で敵を罵りながらの酒盛りがはじまりました。

酒盛りが始まってから五十日以上が経過し、その知らせは成都(せいと 蜀の都)劉備(りゅうび)諸葛亮(しょかつりょう)のところにも届きました。劉備張飛の悪い酒癖もあるので心配しますが、諸葛亮はこれは 張飛の作戦だと考え魏延(ぎえん)に新たな酒を持たせて派遣するよう 劉備に提案します。劉備諸葛亮がそう言うなら ということで魏延を派遣しました。張こう張飛の陣に新たな酒が届いたことを知り、張飛がすっかり油断していると 思い夜襲をかけます。ですが張飛は完全にこれを読んでいました。張こう が夜襲をかけると張飛の軍に包囲されます。張こうは驚いて退却しようと しますが砦にも張飛軍が攻めかかっていて炎上していました。砦を焼かれた張こう軍は何処へ逃げればいいかわからず次々と討たれました。 逃げに逃げて張こうはようやく瓦口関(がこうかん)にたどり着きました。たくさんの兵を失った 張こう曹洪に援軍を求める使者を送りました。ですがあんな大口をたたいたのに援軍を送ってもらえるわけがありませんでした。 張こうは援軍をあきらめ計略を立てました。次の日張こう は出陣します。張飛軍では雷同が「私が行ってたたき伏せてやります」と言って出陣し戦闘を開始しました。そのうち張こう雷同が一騎打ちになります。すると途中で張こうが逃げ出しました。雷同が追って行くとそこには伏兵がいました。 雷同は策にはまり討ち死にします。その報を聞いた張飛は敵の伏兵に対するため魏延 に二隊を与え一隊を山間に潜ませ、もう一隊に道に枯れ草を積んだ車を並べて敵が逃げてきたら火をつけるように指示しました。 次の日張飛張こうが戦闘を開始します。そして 張飛張こうは一騎打ちになります。 張こうはまた作戦通り逃げ出します。張飛は作戦と知りながら追撃します。 すると案の定伏兵が現れます。ですがそれに対して更なる伏兵として魏延の率いる隊が現れ 張こうの伏兵は蹴散らされ逃げ出します。ですが逃げ道はすべて火のついた車で遮られていて逃げられません。 パニックに陥った張こうの伏兵たちは山間に逃げ込みますが火が燃え移り全滅します。 張こうは残り少ない兵をまとめて瓦口関に逃げ込みここを死守することにしました。

張こうの逃げ込んだ瓦口関はかなりの要害で張飛は 攻めあぐみます。張飛は何か作戦がないか辺りを探索しました。すると瓦口関の横の険しい崖を上っている 百姓たちを見つけました。張飛が百姓たちの通っていた道が何処に続いているのか聞くと、百姓たちは瓦口関の 背後に続いていると答えました。そこで張飛はまず魏延瓦口関を 正面から攻撃させました。その間に張飛は兵五百を連れて百姓に道案内をしてもらい瓦口関の背後に回りました。 張こうは正面から攻めてきた魏延軍に一撃を加えるため関から出陣しました。両軍が戦っていると 張こうのところに関から伝令がやってきて瓦口関に兵が攻めてきたと伝えました。張こうは 急いで戻りますがすでに関は張飛軍に落とされていました。張こうの軍は挟み撃ちにされました。 張こうは何とか自分一人だけ逃げ延び曹洪のいる城にたどり着きました。当然曹洪は怒り 「わしがあれほど諫めたのに無用な戦をし、しかも三万の兵を失って自分だけが生きてのこのこと帰ってくるとは言語道断。お前は敗れたら責任を取ると申して 出陣した。その言葉忘れてはいまいな」と言いました。張こうは力なく「はい」と答えます。曹洪は 「よし張こうの首を刎ねい」と言いました。すると回りの将や文官たちが一斉に曹洪張こうの命乞いを始めました。曹洪は仕方なく張こうにもう一度チャンス を与えることにしました。張こうかぼう関を攻めることになりました。張こう は汚名をそそがねば生きては帰らない決意で戦に望みました。かぼう関を守るのは孟達(もうたつ)らでした。孟達張こう軍を迎え撃つため 出陣しますが必死の張こうの前に敗れます。そこで孟達成都に援軍を求める使者を送りました。 しばらくして援軍が来ました。援軍の将は老将の黄忠(こうちゅう)厳願(げんがん)でした。 二人を見た孟達は思わず「ご老体が援軍ですか」と聞いてしまいました。黄忠厳願は早速出陣しました。 そして黄忠軍張こう軍がまず戦闘を開始しました。すると張こう軍の背後にいつの間にか厳願軍が回りこんでいて張こう軍は挟み撃ちにされ敗走しました。 曹洪は今度こそは許さず張こうを呼び戻して死罪にしようとします。ですがまたも回りの将に諫められます。 「今張こうを呼び戻して死罪にしようとすれば、きっとその前に張こうは 敵の軍門に降るでしょう。そのほうが取り返しがつきませぬ」と言われたため曹洪は仕方なく援軍を送ることにしました。 援軍の将は夏侯尚(かこうしょう)韓浩(かんこう)でした。二人ともたいしたことのない将でした。黄忠は いい作戦を思いつきました。その夜厳願は一軍を率いてどこかへ行きました。次の日援軍が到着し戦闘が開始されました。ですが 黄忠は少し戦うと逃げ出して陣に逃げ込みました。次の日もその次の日も黄忠は 少し戦うと陣を捨てて逃げました。そしてついにかぼう関まで逃げ込みました。孟達はやはり老人ではだめだったと思い再度援軍を要請します。 援軍の要請を受けた成都では劉備が「孔明、やはり老人では無理だったのではないか」と言いました。すると 諸葛亮は使者に「厳願はいかがした」と聞きました。使者は「それが行方が知れませぬ」と言いました。 諸葛亮は「はっはっは。やはりそうじゃろ。殿、ご心配にはおよびませぬ。これは黄忠の計略 です。厳願が別行動をとっているということは何か策があってのことです」と言いました。劉備が「しかし厳願も 老人じゃからのう」と言うと諸葛亮は「殿がそれほど心配なら援軍を送ってもかまいませぬが」と言いました。 劉備劉封(りゅうほう)を援軍に送りました。劉封かぼう関に着くと黄忠 が「これはこれは劉封様。なにゆえ兵を伴ってこられました」と聞いてきました。劉封が「それはわが父が将軍の苦戦を知ったためにそれがしに援軍の命が 降ったのでございます」と言うと黄忠は「ははは、何を心配なされます。これは作戦です。敵に陣を明け渡したのは 敵に陣を貸してやるためです。それを一気に蹴散らそうと考えて。それが今夜・・・。まあせっかく来たのですからゆっくり見物なされ」ともったいぶって終わりました。 その夜黄忠は五千の兵を引き連れて出陣しました。勝ち戦で油断していた夏侯尚らはすっかり不意をつかれ 自分の馬さえ見つからず徒歩で逃げ出しました。勢いに乗った黄忠軍は敵に貸していた陣を次から次へと奪っていきました。ですが夏侯尚韓浩はあきらめが 悪く今回敗れたのは奇襲のせいで敵が強いのではないと勘違いしていました。そこで二人は天蕩山(てんとうざん 魏軍の食料貯蔵地で十万の兵が守っている)に 行って少し兵を借りてまた戦いを挑もうと考え天蕩山に向かいます。天蕩山を守る将は夏侯徳(かこうとく)でした。これまたたいしたことのない将でした。 夏侯尚らが兵を貸して欲しいという相談をしていると黄忠天蕩山に攻めてきました。そこで韓浩が兵を借りて迎え撃ちました。 ですが黄忠にかなうはずもなく、一騎打ちであっという間に斬られます。怒った夏侯徳は出陣します。すると 天蕩山の陣から火の手が上がりました。夏侯徳が何事かと戻って見に行くと厳願の兵が火を放っていました。夏侯徳厳願が一騎打ちをし夏侯徳が斬られました。 厳願が「敵将夏侯徳厳願が討ち取ったり」と叫ぶと軍はもうだめだとわれ先に逃げ出しました。こうして漢中の前線基地天蕩山劉備 の物になりました。これで漢中への足がかりを得た劉備はこの機に漢中をとるためついに諸葛亮 指揮のもと十万の兵を率いて漢中攻略に向かいました。


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