蜀は劉備(りゅうび)が諸葛亮(しょかつりょう)らの助けを うけて建国した国です。しかし三国の中では一番最初に滅びます。諸葛亮のあとを継いだ 姜維(きょうい)でしたが北伐はなかなかうまくいきません。そのうち成都(せいと 蜀の都)の劉禅(りゅうぜん)が 奸臣、黄皓(こうこう)によって堕落します。それを聞いた魏の司馬昭(しばしょう)は蜀討伐を開始します。 姜維は蜀を守るための兵を集めるよう劉禅に手紙を送りますが、黄皓にさえぎられ劉禅 には伝わりません。その間に漢中(かんちゅう 地方名)は落とされます。姜維はしかたなく剣閣(けんかく) という要害まで軍をひきます。しかし敵の将は別行動で成都に迫ります。劉禅はあえなく降伏します。劉禅の降伏を知った 姜維は蜀漢再興のため敵将に自分と手を結び蜀で独立するよう働きかけます。しかしこの企みはすぐにばれ 姜維は敵将とともに魏軍によって討たれてしまいます。 諸葛亮の死から約三十年がたっていました。